火群日記
稽古場日記。

Big_kirakira_5

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2007.09.28 止まってる…
見事に日記が止まっている
稽古は順調です。多分。
短編って大分楽です。キャストが3人だしやりやすいし
殺陣が少しずつ決まって、今日は谷内が早退した後に全部決まる筈だ!

唐突ですが、
人は傷ついた時、傷つけられたのと同じ意味で人から愛されなければ、
自分を傷つけた人を恨むしかないのかなと思う。
少なくとも、私は自分の感情を持って行く場がなくなる。
以前とある殺人もののドラマを見て以下のように思った。
出演は伊東四朗だった。
他の事で他の人からいくら愛されても思いやられても何も解決しないのだ。
何であろうと代わりにははならないのだ。
傷は残るものだが、癒されはする。
救われる為には受け止めてもらうしかないのだ。
そうでなければ恨んで傷を忘れたフリをする事しかできないのだ。
人間は悲しく弱い生き物だと思ったのだ。
傷つき傷つけ合うのに、それでも愛情を求めるのだ。
いや、だからこそかもしれない。
自分が辛い時、辛いと素直に言えば人を傷つけないで済むのだろう。
何故かそこで人は人を拒絶したり人に全てをなすりつけたりする。
辛いと言って受け止めてもらえないくらい他人には余裕がないし、
突き放される恐怖故かもしれない。
受け止めてもらえなくて何度でも傷つくのだ。
しかし、生きているのだから前に進まなければならない。
伊東四朗扮する刑事は言葉にせずともそう語った。
その時伊東四朗は全てを受け止めたように感じた。
その苦しみを「わかる」と現した。
しかし、苦しみを認め同情した訳ではないのだ。一緒に前に進もうとする。
『○○を忘れる訳ではないけれど、そろそろお前も幸せになっていいんじゃないか?』
普通の台詞だ。だが綺麗に吐いていた。
言葉にない演技に泣けた。
救いは言葉ではない。気持ちなのだ。
感動とは些細な事から生まれるなぁ。泣けるぜ!!

京都ロマンポップさんの芝居を観に行った。
18歳、私は何をしていただろう??
歳を重ねる毎に、私は子供になっています。
なっているのではなく、大人でいい子にするのを止めただけなんでしょうけど。
誰かにわかって欲しいと望む18歳たちの話でした。(私の目線)
誰だってそう思いますよね、諦めない限りは。

最近考えるヒトになってますが、別に病んでいません。
むしろ最近充実してます。人間として。
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